June 24, 2017

名詞的動名詞の「結果読み」

 このブログに以前書いた「動詞的動名詞と名詞的動名詞」では,動詞の-ing形の名詞用法(いわゆる「動名詞」)に動詞的性質を残していて目的語をとる力を保持しているものと,動詞的性質を失って目的語を取れなくなっているものとの2種類があることを解説した。また,これまでに名詞化形の解釈には以下の2つの場合があることも数回にわたって説明してきた。


  • 【過程読み】「~する(という)こと」と,派生元の動詞が表す行為そのものを表す→不可算が基本[※回数を表す場合は可算]

  • 【結果読み】「~した[された]もの]と,派生元の動詞が表す行為の結果生じるものを表す→可算


これらの2つのポイントのいわば「交点」にあるのが次のような例であろう。

There is an emerging theory that accounts for these and related ideas. It's called the New Theory of Disuse, to distinguish it from an older, outdated principle stating, simply, that memories evaporate entirely from the brain over time if they're not used. The new theory is far more than an updating, though. It's an overhaul, recasting forgetting as the best friend of learning, rather than its rival. (Benedict Carey, How We Learn: The Surprising Truth About When, Where, and Why It Happens, Amazon Kindle版位置No.470)

下線部のupdatingには不定冠詞のanがついているから,これは名詞的動名詞,あるいは-ing接辞による名詞化である。また,これがThe new theoryに対する補語であることから,「改訂したもの」という結果読みであることがわかる。だからanがついて可算用法で用いられているわけである。

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「勉強」ぎらい

 昨日の記事「ポジティブ思考の威力」でも紹介した高妻容一先生と講師控室でお話していたときのことである。先生のお書きになったものを拝読した感想を申し上げているときに,いつものように(先生には機会があるごとにこのお願いをしている)「次は勉強の本を書いてくださいよ」とお願いすると,先生は「『勉強』というと,いやいややっているという感じですよね」とおっしゃった。ぼくも以前からそのように感じていて,「勉強」という言葉は避けてきたので,大いに頷いたのであるが,さて,これは一般的な感覚として通用しているのだろうかと気になったので,国語辞典を引いてみたところ,またもや『新明解』がやってくれていた! この辞書で「勉強」を見ると,冒頭にこのような注釈がついている。


そうすることに抵抗を感じながらも,当面の学業や仕事などに身を入れる意

こういう意味の語であるのだから,「勉強」がおもしろくないのは当然なのである。とらえかたを根底から変えていかなければならないだろう。しかし世の中では,無理やりする「勉強」のありかたを前提として話をする人が多いのではないかと思う。しかも「当面の」というのだから,先の目標など見すえていないのである。これでは学問が楽しくおもしろくなるわけがないのである。

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名詞化形の過程読みの回数の解釈

 「名詞化の解釈と可算・不可算の区別」,「名詞化の解釈と可算・不可算の区別について再論」の2つの記事では,名詞化の解釈と可算・不可算用法の関係を次のように説明した。


  • 【過程読み】「~する(という)こと」と,派生元の動詞が表す行為そのものを表す→不可算が基本[※回数を表す場合は可算]

  • 【結果読み】「~した[された]もの]と,派生元の動詞が表す行為の結果生じるものを表す→可算


上の説明で,「〜する(という)こと」という過程読みの場合でも,回数を表す場合は可算用法になるとしているが,今回,この場合の実例を見つけたので,紹介して解説しておきたい。

The study of forgetting has, in the past few decades, forced a fundamental reconsideration of how learning works. (Benedict Carey, How We Learn: The Surprising Truth About When, Where, and Why It Happens, Amazon Kindle版位置No.449)

上の引用例では名詞化形reconsiderationに不定冠詞aがついているので可算名詞として用いられている。しかし,このreconsiderationは「再考した[された]もの」という意味の結果読みではなく,「再考する(という)こと」という意味の過程読みである。こうなるのはこれが「1回」という回数を表しているからである。つまり,忘却の研究の結果,学習がどのようにはたらくかを再考せざるをえなくなるという状況が1回生じた,と言っているわけである。

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June 23, 2017

ポジティブ思考の威力

 非常勤講師として出講している神奈川大学でごいっしょさせていただく東海大学体育学部の高妻容一先生から,以前ご執筆になって『パーゴルフ』誌に掲載になった記事のコピーを頂戴した(授業の資料として配布するものだったようだ)。「たったひと言でナイスショット連発!―スコアがよくなるラウンド中の独り言」というタイトルの記事で,先生のご専門であるスポーツ心理学の観点から,ゴルフの各局面での「よい独り言」と「悪い独り言」を紹介して解説するという内容だ。これを拝読していて感じたのは,学問とか勉強とかでもまったく同じなのだなぁ,ということである。記事の要点をかんたんに要約すると,肯定的な独り言を言うようにするとうまくいくし,否定的・消極的(「」〜したら」といった)独り言を言ってしまうとプレイに悪影響を及ぼす,ということで,たとえばパッティングのときに「これが入ったらパーだ」というのは悪い独り言で,「入れてパー,よ~しいけるぞ!」はよい独り言だというのである。勉強とか学問とかにおいても,まったく同じことが言えると思う。つまり,勉強することに対して肯定的・積極的なとらえかたをしている人はうまくいくし,否定的・消極的に,「嫌だけどやらないといけないからやる」「試験で失敗するのは嫌だ」と思いながらやっていてもなかなかうまくいかない。
 院試塾サイトの「合格者コメント」読んでいただいてもわかると思うのだが,合格を果たした人たちは学問に対して肯定的・積極的で,大学院入試の勉強も「」いやいややるべき試験勉強」としてではなく,「将来の学びと成長のためのステップ」としてとらえてとりくんでいる。うまくいくのはこういう人たちなのである。
 おそらくこの肯定的・積極的な姿勢にはもう1つ利点がある。それは,周囲の協力がえやすくなるという点だ。ネガティブ思考の人はどうしても他人に対して批判的になり,感謝の言葉が口にできにくくなるから,協力してくれる人も少なくなってしまうだろう。それに対して,肯定的・積極的な人は見ていて楽しくなってついつい周囲も協力したくなるし,そういう考えかたの人は他人に対して批判・避難よりも感謝の言葉が多くなるであろう。その結果,周囲の人の協力がえやすくなり,目標達成もより容易になるのではないだろうか。
 勉強がうまくいかないという人は,一度自分のとらえかたを見直してみてはどうだろうか。

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類義語の意味の見わけかた―treatとcure

 treatとcureはどちらも「治療する」という訳語で覚えている人が多いのではないかと思う。しかし,次の引用例ではこの2語が明らかに違う意味で用いられている。どのような違いがあるのだろうか。


For the last half century psychology has been consumed with a single topic only―mental illness―and has done fairly well with it. Psychologists can now measure such once-fuzzy concepts as depression, schizophrenia, and alcoholism with considerable precision. We now know a good deal about how these troubles develop across the life span, and about their genetics, their biochemistry, and their psychological causes. Best of all we have learned how to relieve these disorders. By my last count, fourteen out of the several dozen major mental illnesses could be effectively treated (and two of them cured with medication and specific forms of psychotherapy. (Martin Seligman, Authentic Happiness: Using the New Positive Psychology to Realize Your Potential, Amazon Kindle版位置No.60)

まずは文脈からどのような違いが読みとれるかをを検討していこう。treatできる精神疾患が14,cureできるものは2とあるから,cureのほうがより治癒の程度が高いのではないかと考えることができる。このように当たりをつけたうえで英英辞典を引いてみると,たとえばCOBUILDではtreatをWhen a doctor or nurse treats a patient or an illness, he or she tries to make the patient well again.と,cureをIf doctors or medical treatments cure a person, they make the person well again after an illness or injury.としている。両者の定義はきわめてよく似ているように見えるが,treatのほうはtries to make the patient well again.となっているのに対して,cureのほうはtries toが入っていない。つまり,cureのほうは「結果として治癒すること」,treatのほうは「治癒するように手当をすること」にそれぞれ重点があるのではないかと考えることができる。また,『ルミナス英和辞典』のtreatの項には,「【語法】cure と違い必ずしも病気が治ったことを意味しない」という解説があって,ここまでに推測したことが正しいことが裏づけられる。

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連語関係から読み解く前置詞の意味(2)

 「連語関係から読み解く前置詞の意味」という記事では,動詞や形容詞との連語関係に着目すると前置詞の意味が見きわめやすいことを実例を挙げながら説明した。今回もそのような例をとりあげて解説することにしよう。


For the last half century psychology has been consumed with a single topic only―mental illness―and has done fairly well with it. (Martin Seligman, Authentic Happiness: Using the New Positive Psychology to Realize Your Potential, Amazon Kindle版位置No.60)

下線部のwithはどのような意味であろうか。先日の記事でも述べたとおり,たとえば『ルミナス英和辞典』にはwithの語義が20挙がっている。この中から適切な意味を探し出すのは至難の業と言えるだろう。
 しかし,先の記事で解説したとおり,連語関係に着目すればこの疑問は比較的容易に解決できる。連語関係を確認するときに英語の専門家であれば必ず参照する『新編英和活用大辞典』の用例からdo well with ~を含む用例を探すと,The publisher did so well with the book that a paperback will be issued shortly.「その本はよく売れたので出版社は間もなくペーパーバック版を出すだろう」という用例が見つかる。この例から考えると,このwithは「~に対して」などの対処の意味を表すのではないかと考えることができる。
 ついでながら,大学入試の文法・語法問題などでよく問題になるI don't know what to do with the money.のwithもこれと同じものと見てよいであろう。

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June 22, 2017

連語関係から読み解く前置詞の意味

 英語の前置詞の意味はそれぞれにかなり多様で,解釈に迷ってしまうと辞書を引いてもその情報量に圧倒されてしまい,適切な理解にたどり着けないことが多い。もちろん,それぞれの前置詞の中核的意味をイメージで把握していれば応用範囲は広くなるが,特に初学者にはかなり「ハードルの高い」方法であろう。
 このような場合,動詞や形容詞との「連語関係」に注目すると適切な解釈に到達できる場合も多い。まずは簡単な例で見てみよう。


  • He was angry with me.


この文のwithは「ともに,いっしょに」という意味ではない。しかし,辞書を見て解決しようとしても,たとえば『ルミナス英和辞典』では前置詞withの語義が20もある。このなかから適切な意味(『ルミナス』では8の「 [感情などの対象や関係・立場を示して] …に(対して);…に関して,…について;…にとって,…の場合は」という語義で,子の語義の用例にはangry with ~の例も挙がっている)を選びとるのは至難の業であろう。
 しかし,形容詞angryとの連語関係に注目して,辞書でangryを引いてみると,たとえば『ルミナス』の場合には語法解説として「『…に対して腹を立てている』という場合,人に対してはwith またはat,人の言動に対してはat,物事に対してはabout を用いるのが普通」と説明してあって,このwithが「~に対して」という意味であることがたちどころにわかるのである。
 続いて,もう少し複雑な例で考えてみよう。

The fundamental insight of polytheism, which distinguishes it from monotheism, is that the supreme power governing the world is devoid of interests and biases, and therefore it is unconcerned with the mundane desires, cares and worries of humans. It's pointless to ask this power for victory in war. for health or for rain, because from its all-encompassing vantage point, it makes no difference whether a particular kingdom wins or loses, whether a particular city prospers or withers, whether a particular person recuperates or dies. The Greeks did not waste any sacrifices on Fate, and Hindus built no temples to Atman. (Yuval Noah Harari, Sapiens: A Brief History of Humankind, Amazon Kindle版位置No.3270-302)

上の引用例の下線部のforはどのような意味であろうか。この疑問を,forを辞書で引いて解決しようとしても,おそらくたくさんの語義に迷ってしまうであろう。しかし,ask〈人〉for〈もの・こと〉という連語関係に着目すれば,これが「〈人〉に〈もの・こと〉を求める」という意味であることがわかって,これを手がかりにしてforの意味を辞書でたしかめると,forが目的などを表して「~を求めて」という意味になることもわかるのである。

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more than oneの実例追加

 more than oneは「1以上」という意味ではないという点については,このブログでもすでに何度か指摘している。今回もそのことがはっきりわかる実例を追加しておこう。


Most Hindus, however, are not Sadhus. They are sunk deep in the morass of mundane concerns, where Atman is not much help. For assistance in such matters, Hindus approach the gods with their partial powers. Precisely because their powers are partial rather than all-encompassing, gods such as Ganesha, Lakshmi and Saraswati have interests and biases. Humans can therefore make deals with these partial powers and rely on their help in order to win wars and recuperate from illness. There are necessarily many of these smaller powers, since once you start dividing up the all-encompassing power of a supreme principle, you'll inevitably end up with more than one deity. Hence [A]the plurality of gods. (Yuval Noah Harari, Sapiens: A Brief History of Humankind, Amazon Kindle版位置No.3282-313)

上の引用例のmore than one deityは,続く下線部[A]が「複数の神が存在すること」という意味であることとのつながりから考えて,「1以上の神」という意味ではありえない。当然ながら「2以上の神」と解釈すべきなのである。

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June 17, 2017

more than oneは「1以上」ではない!(2)

 以前このブログに『more than oneは「1以上」ではない!」という記事を書いて,more than oneを「1以上」と解釈したのでは意味がきちんと読み取れない例を解説した。今回もそのような実例に出会ったので紹介して解説しよう。


Language acquisition is one of the most impressive and fascinating aspects of human development. We listen with pleasure to the sounds made by a three-month-old baby. We laugh and 'answer' the conversational 'ba-ba-ba' babbling of older babies, and we share in the pride and joy of parents. whose one-year-old has uttered the first 'bye-bye.' Indeed, learning a language is an amazing feat―one that has attracted the attention of linguists and psychologists for generations. How do children accomplish this? What enables a child not only to learn words, but to put them together in meaningful sentences? What pushes children to go on developing complex grammatical language even though their early simple communication is successful for most purposes? Does child language develop similarly around the world? How do bilingual children acquire more than one language? (Patsy Lightbown and Nina Spada, How Languages are Learned, Amazon Kindle版位置No.241-9)

下線部はバイリンガルの子供の言語習得の話であるから,当然ながらmore than one languageは「2つ以上の言語」という意味にならなければいけないはずで,これを「1つ以上の言語」と訳しておかしいと気が付かないというのではお話しにならないのである。英文読解とは内容をきちんと読みとることであるはずで,ただ公式的に(しかも,その「公式」も間違っている)訳してすむ話ではないのだ。
 この「more than one=1以上」という思い込みはかなり根深いようで,院試塾の英語講座にも以下のような課題文があり,下線部の誤訳が実に多いのである。

Motivation is why we do what we do, and why we bother to do anything at all. If we want to understand human beings, we need to look at what makes people 'tick'―what moves us to act, or at least to action. And, as with every other aspect of psychology, there isn't a simple answer to this question. Human motives are complex, ranging from simple physiological ones to complex issues of social respect and identity. We usually have more than one reason for doing things, and bearing this in mind it is worth trying to sort out the different kinds of motives which contribute to our actions.

下線部は「物事をする理由はたいてい1つだけでない」などと訳し,やはりmore than oneは「2以上」と解釈するのが適切なのである。
  なお,この問題については学習用英和辞典でもきちんと説明されていて,たとえば『ジーニアス』では,moreの成句more thanの用例としてまず,The book weighs more than two kilos.を挙げており,これに「2キロちょうどは含まない」という注釈を添えている。また,have more than two coinsを「コインを3枚またはそれ以上持っている」と訳したうえで,「『2枚以上持っている』はhave two coins or more」と解説している。さらに,More than one teacher was present.も「2人以上の先生が出席した」と訳してあるのにも,きちんと気をつけてみていれば気づくであろう。

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June 15, 2017

名詞化の解釈と可算・不可算の区別について再論

 「名詞化の解釈と可算・不可算の区別」という記事で,名詞化形の解釈が可算・不可算という用法の区別と密接に結びついていることを解説した。ポイントを以下に再掲する。


  • 【過程読み】「~する(という)こと」と,派生元の動詞が表す行為そのものを表す→不可算が基本[※回数を表す場合は可算]

  • 【結果読み】「~した[された]もの]と,派生元の動詞が表す行為の結果生じるものを表す→可算


この記事では,このポイントの実例を追加したうえで,解釈のしかたを再確認しておこう。

Yet the greatest impact of the rise of great gods was not on sheep or demons, but upon the status of Homo sapiens. Animists thought that humans were just one of many creatures inhabiting the world. Polytheists, on the other hand, increasingly saw the world as a reflection of the relationship between gods and humans. (Yuval Noah Harari, Sapiens: A Brief History of Humankind, Amazon Kindle版位置No.3252-86)

この引用例の下線部はどのような意味であろうか。まず,reflectionに不定冠詞aがついており,可算名詞として用いられている点に注目したい。上に再掲したポイントにそって考えると,このreflectionは結果読みで,「~した[された]もの」という意味を表すとわかる。また,派生元の動詞は他動詞reflectであるから,of句はもとの動詞の目的語に相当する。つまりこの下線部は,「神と人間との関係を反映するもの」ととらえられるのである。

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