May 23, 2017

常識的判断と文法的理解

 「正しく読めるかどうかは姿勢の問題」で紹介したのと同じ日の授業であったもう1つのこと。常識的に内容をきちんと考えていれば防げる類の間違いである。


In 1957, IBM made a computer called the 610 Auto-Point. They said that it was the 'first personal computer'. But it was not like the computers that millions of people have in their homes today. It was large and expensive (55,000 dollars). It was called a personal computer, or PC, because it only needed one person to work it. The first real PCs were not made until seventeen years later. (Paul Davies, Information Technology, pp.11-2)

この部分を担当した学生は下線部を「最初の本当のPCは17世紀後半まで作られなかった」と訳した。まず,常識的に考えてこれはおかしいと気がつかなければならないだろう。文脈を見ても,1957年にIBMが「最初のパソコン」と称して売り出したコンピュータを制作したとあるのだから,下線部で述べられているのはそれよりあとのことだと気が付かなければならないのである。「訳す」ことだけに一生懸命になってしまって,「読む」ことができずにいるのだろう。
 なお,下線部のseventeen years laterは文法的に「副詞的目的格」あるいは「副詞的対格」と呼ばれるものを含んでいる。安藤貞雄『現代英文法講義』の20.5.3によると,空間・時間・程度・様式などを表す名詞句が副詞的に用いられるものをこのように言うのである。上の引用例で言うと,seventeen yearsという時間を表す名詞句がlaterを限定して副詞的に機能しているわけである。
 英文がうまく読めたときというのは,このように,内容理解と構造理解がピッタリと一致するものなのである。

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言語学と物理学の類似性

 Akmajian et. al.Linguistics (MIT Press)は英語で書かれた良質な言語学の概説書で,ぼく自身今でもときどき読みかえしてみる。今回,Chapter 4 Phonology: The Study of Sound Sructureを読んでいて,たいへん興味深い記述に出会ったので,紹介しておきたい。


In the introduction to Chapter 3 we noted that the discrete, linear transcription system that we use to write languages is an idealization. There is nothing in the physical realization of speech (articulation and the acoustic signal) that corresponds to the discrete linear properties of our writing system. Speech is continuous and the phonetic segments overlap, yet speakers have little trouble accepting that speech can be represented by a writing system that uses discrete and linearly written symbols. Such writing systems have been in use for more than two thousand years, since the Greeks, inspired by the Phoenician writing system, developed an orthography that represented both vowels and consonants as separable and autonomous units. The idea that the fundamental sound units of a language are consonants and vowels has persisted since that time, and only in the twentieth century was it discovered that consonants and vowels are in turn composed of more basic units, the so-called distinctive features. We will present three types of evidence for these features in this chapter. (p.109)

物理学においては,原子核が陽子と中性子から成りたっており,これらの陽子や中性子がさらに小さな素粒子から成りたっていることがわかってきた。言語学においても,下線部で述べられているとおり,母音や子音という基本単位がさらに小さな弁別的特性から成りたっていることがわかってきたのである。しかも,この引用では述べられていないが,弁別的特性に注目することで「自然類」が定義でき,それによってさまざまな音韻現象が説明できるのである。
 学問においては,このように,ある概念はそれだけのために導入されるのではなく,それを導入することで記述や説明がやりやすくなるから導入されるのである。このような学問の性質をしっかり見すえることが大切ではないだろうか。

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May 22, 2017

PowerPointスライド作成の技法

 院試塾の「社会人のための大学院研究生活入門ゼミ」では,必要に応じて課題レポートをPowerPointのスライドとして作成してもらうことがある。また,「口頭試問・プレゼンテーション指導」では,PowerPointを使用するプレゼンテーション試験の準備指導も行っている。また,非常勤講師として専門学校でPowerPointを使用するプレゼンテーションの授業も担当している。ぼくがこのような指導で強調しているのが,以下の2点である。


  • 箇条書きのテンプレートは使わず,内容は図解で示す

  • 文字サイズの下限は28ポイントとし,2行以上の文は書かない


YouTubeのinshijukuチャンネルなどで公開している動画講義はPowerPointで作成しているが,上の原則をできるかぎり貫いている。ところが,世間で多く見られるPowerPointのスライドは,箇条書きの文章がただ並んでいるだけのものが多いのである。はっきり言ってしまえば,こんなものはただ思いついた内容を並べ替えるだけで,「頭に汗をかく」ことなしに作れてしまうのである。切れ切れの箇条書きでは相互の論理的関連性は問われないから,ただバラバラの箇条書きを類似性・関連性・親和性でスライドにまとめてしまえばそれで作れてしまうのである。きちんとした文章を書こうとすると論理的に考えなければならないし,図解しようとすれば伝えたいことの構造を整理してそれを表現する工夫が必要になるが,箇条書きの羅列をするだけなら楽なのである。

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文章を書くということ―構想の重要性

 院試塾の「研究計画書作成指導」などでは,研究の構想段階から指導するために,長期的な取り組みを推奨している。ところが実際には,文章を書くという作業だけのことを考えているためか,必要な時間の見積を誤ってしまう例が跡を絶たない。こればかりは指導開始前のことなので,こちらではどうにもならないのである。もちろん,見積のご用命や受講相談をいただいた方には,その後も継続的にご案内を差し上げてはいるのだが,なかなか腰が重くて動き出さない人が大多数である。
 このようになってしまうのは,研究計画書を書くというのを,単なる書類を書くという程度にしか認識できていないからではないだろうか。しかし,研究計画書を書くためには,まずその題材,つまり研究テーマが必要であるし,その他の「材料」も揃えなければならない。また,それらをきちんと伝わる文章にするためには,ただ感覚的に書いてもダメで,「構想」が重要になるのである。この点について梅棹忠夫『知的生産の技術』は以下のように説明している。


文章をかくという作業は,じっさいには,ふたつの段階からなりたっている。第一は,かんがえをまとめるという段階である。第二は,それをじっさいに文章にかきあらわす,という段階である。一般に,文章のかきかたというと,第二の段階の技術論をかんがえやすいが,じつは,第一の「かんがえをまとめる」ということが,ひじょうにたいせつなのである。かくべき内容がなければ,文章がかけないのは,あたりまえである。文章をかくためには,まず,かくべき内容をかためなければならないのだ。(『梅棹忠夫著作集 第11巻 知の技術』Amazon Kindle版位置No.2696)

 まさにここで指摘されているとおりで,梅棹の言う「第一の段階」にかかる時間の見積を誤って間に合わなくなってしまう人が実に多いのだ。

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May 21, 2017

学問的な本の読みかた―「正解探し」からの脱却

 院試塾の「社会人のための大学院研究生活入門ゼミ」では,「ブックレポート」を書いてもらうことがよくある。概説書などを章ごとに1000字程度で要約し,その内容について特に自分で興味をもち,研究してみたいと感じたことがらについてやはり1000字程度で述べる,合計2000字程度のレポートである。現在もこのゼミで,このブックレポートに取り組んでいる受講生がいるのだが,どうも大胆に要約ができず,細部にとらわれてしまってなかなか進まないようなので,「もう少し大胆に,自分の興味・関心を前面に押し出してよいのですよ」と指導している。そんな受講生に参考までに紹介したのが,梅棹忠夫『知的生産の技術』の以下の一節である。


 ところでだいじなことは,読書ノートの内容である。よみおわって,読書ノートとしてなにをかくのか。わたしの場合をいうと,じつはカードにメモやらかきぬきやらをするのは,全部第二の文脈においてなのである。つまり,わたしにとって「おもしろい」ことがらだけであって,著者にとって「だいじな」ところは,いっさいかかない。なぜかといえば,著者の構成した文脈は,その本そのものであって,すでにそこに現物として存在しているからである。著者の文脈をたどって,かきぬきやらメモやらをつくっていたのでは,けっきょくその本一冊をそっくりカードにうつしとるようなことになってしまって,しむだなことである。必要なら,その本をもういっぺんみたらよいではないか。
「わたしの文脈」のほうは,シリメツレツであって,しかも,瞬間的なひらめきである。これは,すかさずキャッチして,しっかり定着しておかなければならない。傍線をひくときに,なにがひらめいたのかを,きわめてかんたんに,欄外に記入しておく。この種の着想・連想は,一種の電光みたいなものであるから,傍線だけでは,あとからみて,なぜ線をひいたのか,そのときなにをかんがえたのか,わからなくなってしまうこともあるからである。
 すでにあきらかなように,こういう読書ノートは,まえにかいた「発見の手帳」の,まさに延長線上に位置するものである。あるいは,それ自体一種の「発見の手帳」であって,読書は「発見」のための触媒作用であったということができる。(『梅棹忠夫著作集 第11巻 知の技術』Amazon Kindle版位置No.1644-55)

そうなのだ。自分の研究のために本を読むというのは,自分の興味・関心に引きつけて読むべき(著者の見解を曲解してもよい,ということではない)であり,梅棹の言う「触媒作用」を求めてのことなのである。ところが,読解において「正確さ」を重視するあまり,要約の「正解」があるのではないかと考えてしまう。試験問題ではないので,上述のブックレポートに特に「正解」があるわけではない。著者の見解を曲解していないかぎりにおいて,どこに重点を置いてまとめるかは「読み手しだい」なのである。
 このような「正解探し」的な読みかたの原因について,また,研究計画書などで多く見られる参考文献の扱いの間違いについて,梅棹は次のように指摘する。引用に対する「戒め」なのでそれを引用するのは少々気が引けるところもあるが,読者の皆さんとぜひ共有しておきたい。

 引用文献をあまりならべないといあのは,気はずかしいなどという美意識の問題とともに,もうひとつは,本のよみかたそのものに原因があるのかもしれない。他人の本をたくさん引用した論文をかくには,はじめから本をよむときに,「引用してやろう」という身がまえでよんでいるのだろうとおもう。前節にしるしたところでもあきらかなように,わたしのようなよみかたでは,メモをとるのも「わたしの文脈」においてであって,著者のそれではないから,著者の思想を引用するには都合がわるいのである。
 たくさん本をよんで,それから縦横に引用して何かをのべる。いかにも学問的で,けんらんとしているようにみえるが,じつはあまり生産的なやりかたとはおもえない。わたしのやりかたでいけば,本は,なにかを「いうためによむ」のではなくて,むしろ「いわないためによむ」のである。つまり,どこかの本にかいてあることなら,それはすでに,だれかがかんがえておいてくれたことであるから,わたしがまたおなじことをくりかえす必要はない,というわけだ。自分のかんがえがあたらしいものかどうかをたしかめるためにほんをよんでいるようなものだから,よんだ本の引用がすくなくなるのはあたりまえなのである。こういうふうにかんがえると,引用のすくないことをはじる必要はない。むしろ一般論としては,引用のおおいことのほうが,はずかしいことなのだ。それだけ他人の言説にたよっているわけで,自分の想像に関わる部分がすくないということになるからだ。(上掲書,Amazon Kindle版位置No.1681-91)

この引用部で述べられていることは,研究計画書における先行研究の扱いにおいて多く見られる問題点である。つまり,先行研究の内容をくり返すか,あるいは同じことを言っている先行研究をまったく無視してしまうかのどちらかになってしまいがちなのである。

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May 20, 2017

正しく読めるかどうかは姿勢の問題

 ぼくが非常勤講師として担当している神奈川大学理学部「科学技術英語Ⅰ」の授業の一幕を紹介しよう。毎回ランダムに学生を指名して訳してもらうのだが,あまりに明暗がくっきり分かれてしまった。おそらくこの違いは英語の知識量の違いではなく,「わかるように考える」姿勢ができているかどうかであろう。まずは題材となった英文を見ていただこう。


  1. The first computers (like Colossus) were too big, heavy and expensive to have in your home. But in the 1960s, technicians found a way to make computer chips with thousands of very small transistors on them. in 1971, Intel made a computer chip called the 4004, which had 2,250 transistors. Three years later, they made the 8080, a better and faster chip with 5,000 transistors. An American inventor called Ed Roberts used the Intel 8080 chip to make one of the first PCs. He called his PC the Altair 8800. (The name comes from the television programme Star Trek.) When you bought an Altair 8800, you got a box of parts that you put together at home to make your PC. It cost less than 400 dollars, and Ed Roberts sold 2,000 in the first year. The personal computer was on its way. (Paul Davies, Information Technology, p.12)

  2. In 1976, Steve Wozniak and Steve Jobs started the Apple Computer Company. In 1977, their second computer, the Apple 2, appeared. It was popular, and the company made 700,000 dollars that year. The next year, the company made 7 million! The personal computers were here to stay. IBM made their first home computer in 1981. And the Time magazine 'person of the year' for 1982 was not a person at all―it was the PC. (ibid., p.12)


1.を担当した学生は下線部を「パソコンは途中過程であった」と訳した。これは訳として意味不明で,OKを出すわけにはいかない。これに対して2.を担当した学生は下線部を「パソコンは定着した」と正しく解釈できた。辞書を引いてみると,たとえば『ジーニアス』ではon the [one's] wayの(3)として「近づいて(coming)」,(4)として「(赤ん坊が)お腹にいて」など,この下線部を解釈する上で参考になる意味をきちんと記述している。ここを訳した学生は「パソコンは途中過程であった」が日本語として意味不明であるのに,そのまま「押しきって」しまったのである。この文は上で紹介した辞書の記述なども稽えあわせると,「パソコンが誕生したのはその後間もなくのことであった」などとすべきなのである。
 2.についてはどうだろうか。やはり『ジーニアス』を見ると,be here to stayが成句で「〈事・物が〉定着している」という意味であると記述されている。おそらく,hereやstayの意味を知らなかったわけではなかろう。しかし,なぜそういう解釈になるのかと訪ねてみたところ,「とどまるためにここにあった」という表面的な訳ではおかしいと感じて,辞書を引いたのだと言う。
 ここで2人の学生が正しい解釈にたどり着けたかどうかを分けたのは,自分の考えた訳がおかしくないかどうかを吟味して,辞書をよく見てみるという姿勢が身についているかどうかなのである。

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May 19, 2017

研究計画書・志望理由書指導用シート

 院試塾の「研究計画書作成指導」などでは,研究計画書・志望理由書の構想段階からの指導を受けることができ,完成原稿を提出する必要はない(「研究計画書短期コメント指導」は完成原稿のみを受け付けている)。以前は考えていることを簡単にまとめた構想メモなどを受講生自身で作成して提出していただいていたのだが,このところはWord形式のファイルで表のフォーマットになっているシート類のテンプレートをお送りして,それに記入して提出していただいている。現在院試塾で使用しているのは以下の4種類である。


  • 研究計画書構想シート

  • 研究テーマ検討シート

  • 志望大学院検討シート

  • 志望理由検討シート


 「研究計画書作成指導」の指導開始時には「研究計画書構想シート」を提出していただく。このシートには以下の項目を記入するようになっている。

  • 研究目標

  • 研究の意義

  • 研究課題

  • 研究方法

  • 先行研究

  • 所属教員・開設授業


このシートから研究計画書の概要作成につなげていく。この作業については,「構想シートから研究計画書の概要を作成する」という解説資料(A4版2ページ)を配布している。この資料では,これまでの指導で多く見られた問題あらかじめ避けながら概要を書くように指示をしている。
 このシートの作成時に研究テーマで迷っているという相談を受けることがあり,その場合に使用するのが「研究テーマ検討シート」である。このシートでは5つの研究テーマの候補について,以下の点での比較検討を行う。

  • 興味・関心

  • 修了後のキャリア計画での成果活用の展望

  • 指導希望教員の研究・教育内容との整合性

  • 関連するテーマ・内容を扱いそうな大学院の授業

  • 存在を把握している先行研究


このシートの作成を通じて,もっとも具体的に書きこむことのできたテーマを研究テーマに選定するように指導していく。
 志望理由については,複数の大学院について比較検討する「志望大学院検討シート」から作成を進めていく。このシートに記入すべき項目は以下のとおりである。

  • 志望大学院[※最大3校]

  • 身につけたい知識・スキルなど[※最大5項目]

  • 知識・スキルなどを習得するうえで適切と思われる程度を4段階で評価

  • 評価の根拠となる教員・授業など


 このシートの作成を通じて志望大学院を選定したら,続いて,志望理由書作成の基礎となる「志望理由検討シート」の作成に進んでいく。このシートには以下の内容を記入する。

  • 修了後のキャリア目標

  • 実現に必要な知識・スキル[※最大5項目]

  • 知識・スキルに関連する所属教員

  • 知識・スキルに関連する開設授業

  • 知識・スキルに関連するその他の特徴


 上記のシート群を作成しながら自分の頭で考えていくことで,研究計画書や志望理由書を書くうえで,今の自分の考えのどこが問題でどこが足りないかを自覚的に意識していってもらうわけである。

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May 18, 2017

学術文書の考えかた―『理科系の作文技術』から

 院試塾の「社会人のための大学院研究生活入門ゼミ」や「研究計画書作成指導」などの指導に当たっていて常々感じるのが,学術文書の技法・作法がきちんと身についていない人が実に多いということである。今回,指導上の必要から,以前読んだ木下是雄『理解系の作文技術』を読み返していて,院試塾で指導している内容と重なる部分が多く見られたので,紹介しながら学術文書を書くうえで大切な考えかたについて確認しておきたい。
 まず,木下は「自分の書こうとする文書の役割を確認すること」の大切さを以下のように説いている。


 これらは自明のことかもしれないが,初心の執筆者にとっては,自分の書こうとする文書の役割を確認することが第一の前提である。これは,もし確信がなければ先輩に尋ねて確かめなければならない大切なことなのだ。多少は書きなれた人も,筆をとる前に,また書き上げたものを読みかえす前に,いったい読者はこの文書に何を期待しているはずかと,一瞬,反省してみることを勧める。
 私にこういう注意を書かせるのは,何回か研究費申請の審査をさせられたときの経験である。申請書は

  1. その研究のねらいは何かを具体的に,明確に示し,

  2. 自分がこれまでやってきたことと,これからの研究方針とを,専門家が読めばその研究がうまくいく確率を評価できるように,きちんと述べた

ものでなければならない。一言で言えば,その研究の価値成功の可能性(feasibility)とに対する判断の資料を提供するのが申請書の役割である。ところが,世の中には「この人はこれでfeasibilityが判定できると思っているのか?」と疑いたくなるような申請書があまりに多い。実験装置ぜんたいの説明はものものしいのに,実験の成否がかかっているはずの肝腎な部分の記述が抜けていたりするのである。(Amazon Kindle版位置No.224-32)

研究計画書も同じように考えて取り組むべきなのである。つまり,その計画書を読んだ教員が,その研究のfeasibilityが判断できるように書かなければならないのだ。また,アンケート調査などを行う場合に,調査の項目や内容はやたら詳しく書いてあるが,それらをどのように分析・考察して研究の結論に到達しようとするのかがほとんど,あるいは,まったく書かれていない計画書も多く目にする。上の引用部の最後の部分に書いてあるような問題がある研究計画書というのが実は多いのである。
 記述の重点の置きかたについては,以下の指摘も重要である。

 学部学生の練習実験のレポートの主題は,当然,自分がどんな実験をしたか(どういう実験をし,どういう結果をえたか;それらについてどう考えるか)でなければならない。読者である教師は,実験の原理とか公式的なやり方とかは百も承知だから,参考書まる写しのようなことをいくら書いても,読んでくれる気遣いはない。
 同様に,技師に出す調査報告に,たとえ自分でははじめて知ったことであってもその道の専門家には常識であることを長々と書いたら,苦い顔をされるにきまっている。(Amazon Kindle版位置No.307)

この私的を研究計画書に当てはめて考えてみると,読み手である大学院の教員にとっては自明であるはずの背景記述・現状説明ばかりが書いてあるのは問題だということになる。また,「先行研究に言及することが大切だ」という聞きかじりの知識に従って,先行研究の内容説明を詳しくしている計画書というのも多く目にする。これらは読み手が当然知っているはずのことばかりを書いてある点で問題なのである。
 次の指摘も,読み手に対する配慮に関するポイントといってよいであろう。

読者として私がいらいらさせられるのは,一定の順序がなく思いつくままに書かれた(としか思えない)記述・説明文である。とくに,同じもの,あるいは密接に関連するものに関する記述がなんの断りもなくあちこちに散らばって出てくる文章を読まされると,腹が立つ。(Amazon Kindle版位置No.630)

他人に読んでもらう文章というのは,考えを整理した結果を書かなければならないのであって,自分の思考を整理する過程に読み手をつきあわせてはいけないのである。ところが,そのような「整理不十分」な計画書はよく目にするものである。
 文章という媒体においては,読み手には思考を整理した結果を示さなければならない点については,次の指摘にも注目すべきであろう。

しかし,論文は読者に向けて書くべきもので,著者の思いをみたすために書くものではない。序論は,読者を最短経路で本論に導き入れるようにスーッと書かなければならないのであるモヤモヤや逆茂木は禁物で,著者が迷い歩いた跡などは露いささかもおもてに出すべきでない。(Amazon Kindle版位置No.1142)

 続いて,ぼくが指導でよく問題にするのが段落の構成である。この点についても,木下は興味深く有益な指摘をしてくれている。

日本語の文章も,明治以降は,欧文の影響を受けて,かたちの上ではパラグラフを立てて書くようになってきている。しかし,かたちといっしょにパラグラフというもののないようも輸入されたかというと,それは疑わしい。欧米のレトリックの授業(1.3節)では,文章論のいちばん大切な要素としてパラグラフの意義,パラグラフの立て方を徹底的にたたきこんでいるようだが,教室でパラグラフの意義を教えられた経験のある日本人は数すくないのではないか。冒頭の例のようになんとなく670字を書き続けてしまったり,逆に一文ごとに改行したりする学生は例外としても,日本では「だいぶ続けて書いたからこの辺で切るか」というだけの人が多数派なのではあるまいか。(Amazon Kindle版位置No.782)

 パラグラフの概念と不可分であるのが,ぼくが「段落の表札」と位置づけて指導しているトピック・センテンスという考えかたである。これについて木下は次のように言う。

パラグラフに含まれるその他の文は,

  1. トピック・センテンスで要約して述べたことを具体的に,詳しく説明するもの(これを展開部の文という)
    か,あるいは

  2. そのパラグラフと他のパラグラフとのつながりを示すもの


でなければならない。つまり,トピック・センテンスと関係のない文や,トピック・センテンスで述べたことに反する内容をもった文を同じパラグラフに書きこんではいけないのである。この意味で,トピック・センテンスはパラグラフを支配し,他の文はトピック・センテンスを支援しなければならない。(Amazon Kindle版位置No.804)

 このほかにも,この本には学術文書を書くうえで考慮すべきポイントがたくさん説明してある。研究計画書を書きはじめる前にぜひ読んでおいてほしい1冊である。

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情報を適切に「引きだす」スキル

 特に学問的な場面において,読むこと・聴くことの最大の目的は,自分に必要な情報を適切に「引き出す」ことであるはずなのだが,院試塾やその他の場での指導を通じてその他の場での指導を通じてぼくが切実に感じるのは,このスキルがきちんと身についていない人が実に多いということだ。そしてこれは,日本語・外国語の両方について言えるようなのである。
 まずは外国語の場合を考えてみる。たとえばぼくが茨城大学大学院で担当している「学術英会話」という科目では,TOEFL iBTのSpeaking Sectionの問題を題材にして学問的な場において必要となる口頭英語の力をつけることを目指している。しかし,実際に問題に取り組んでもらうと,どうも「話す」以前の問題として,内容を適切に引き出す聴きとりができていないことがわかってくる。TOEFL iBTの問題を見たことのある人ならわかると思うのだが,特にIntegrated Tasksにおいては,講義などの情報を適切に聴きとり,「主題は何か」「この事例は何を言うために出されているのか」「この発言の真意は何か」といったようなことを理解していく必要がある。そのように題材を理解しなければ,それを設問指示に応じて自分なりに的確に再構成しながら口頭で説明することなどできないのである。
 このような問題があると感じたので,この授業では学生に,TOEFL iBTのListening Sectionの講義問題に取りくんでもらった。そこでやはり明らかになったのは,題材を全体として取りこみ,そこから必要な情報を適切に「引きだす」スキルが十分に身についていないという問題であった。これもTOEFL iBTの問題を見たことのある人ならわかると思うが,Listening Sectionの講義問題では発言の内容が直接問題にされることは少なく,上で述べたような「主題は何か」「この事例は何を言うために出されているのか」「この発言の真意は何か」といった点を当問題が多いのである。TOEFLが北米の大学で授業についていける英語力があることを証明するための試験であることを考えれば,これは当たり前のことではあだが。
 続いて,日本語の場合を考えてみる。院試塾の「社会人のための大学院研究生活入門ゼミ」では,概説書や専門書の内容を章ごとに要約し,その内容で特に興味をもった点について,自分ならどんな研究をしたいかを説明してもらう課題レポートにとりくんでもらうことが多い。そこでの要約を見ていると,どうも観点の定まらない,全体の「縮小コピー」のような要約を書く人が実に多いのである。そのような人に対してぼくは,章のタイトルや小見出しを中心にしながら,全体ほ貫く中心的な「問い」や,部分部分のミクロな「問い」を自分でたて,それに答える形で要約を進めるように指導する。
 上で説明した英語・日本語どちらの場合においても大切なのは,理解を進めるうえで適切な「問い」を自分なりにたてることのできるスキルなのである。ところが日本の言語教育においては,与えられた問いに答えるスキルについてはしつこく訓練をするが,自分で問いをたてる訓練はまず受けていなこのいのである。ぼくの院試塾などでの指導では,特にこのような訓練を重点的に行っている。それは,このようなスキルが学問の世界においてはとくにじゅうようになると考えているからだ。

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May 17, 2017

「記述の対格」についてさらに―英文法書の記述

 「前置詞ofの省略についてさらに―名詞句の形容詞的用法」という記事で紹介した「記述的対格」という文法概念について,この記事で紹介した安藤の『現代英文法講義』よりも広く読まれていると思われる江川泰一郎『英文法解説』(改訂三版)に記述されているのを見つけたので,紹介しておきたい。§15「目的格―(1) 形容詞に相当する用法」として,「[この]名詞を目的格とするのは歴史的に見ての扱いで,一般には名詞の慣用的な用法と考えて良い」と説明している。この項目はさらに「(1) 補語に使われる例」と「(2) 名詞を修飾する例」に分かれており以前に記事で問題にしたのは主に(2)のほうである。この例として江川は以下の文を挙げている。


  • She was a young girl about your age.

  • Her eyes, a deep blue were quite impressive.

  • These are the models of various extinct animals, the size of life.


この項目の「解説」には,「記述の対格」(Accusative of Description)と呼ばれる用法で,When I was (of) your age ...のように前置詞の脱落によるものかどうかで昔の文法学者の間に論争があった」という説明がある。
 学習英文法書とはいえ,本格的な文法書にはやはりこのようなしっかりした解説がきちんと載っているのである。

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«学問的文章の技術―きちんと構造化する